桧原宿跡
桧原宿跡(ひばらじゅくあと)とは?
桧原宿跡(ひばらじゅくあと)とは、現福島県麻耶北塩原村の桧原湖北岸に水没する宿場町の遺跡です[福島県埋蔵文化財包蔵地台帳に北塩原村遺跡番号0009として登録]。1888年の磐梯山噴火に伴い形成された桧原湖によって水中に沈みました。桧原宿は江戸時代には米沢から会津を繋ぐ街道の要所として人や物資の交流を支えてきました。会津藩内本街道五筋の一つで、会津若松から米沢までの約56kmを結ぶこの街道は文化庁選定「歴史の道100選」にも選ばれ、近年その歴史的価値が見直されつつあります。桧原宿は近世では金鉱山の発掘で大きな賑わいをみせており、また近くの大塩宿は塩泉を使用した「山塩」作りが盛んであったことで有名です。
包蔵地カードに示された遺跡の範囲
しかし、ここまで遺跡の形成プロセスが明らかになっているのにもかかわらず、遺跡が「水底」にある物理的な困難さから、これまで学術目的による正式な調査は実施されてきませんでした。1990年代にテレビ局による水底の記録観察、2002年に法政大学の探検部による水中の調査が行われていますが、詳細な記録が残されていなくて、遺跡の全貌は明らかになっておりません。