調査日誌
小林祐大の桧原湖日記【調査編1】
私は陸上発掘班の一員なので限定的ではあるが、私目線での調査についてできる限り振り返る。
1日目
初めての福島空港に降り立つ。午後、宿に着いた後、翌日以降使う作業道具を北塩原村生涯学習センターに取りに行った。
桧原湖を時計回りに北側から回ると、桧原湖の大きさに驚いた。小さな湖だと思っていたが、一周するのに車で1時間半から2時間はかかりそうだ。湖沿いの道の至る所にブラックバスやワカサギの文字。今回の滞在中も多くの釣り人がボートを浮かべていた。この日の作業は荷物の積載と作業地点の確認であった。また、初めて見る裏磐梯山は当時の噴火の壮絶さが感じられるほどえぐられている山肌がなんとも形容し難い。しかし、磐梯山と桧原湖、この2つが組み合わさった綺麗な景色の下、今後の作業が楽しみだと期待感で溢れた。
2日目
先週までの豪雨が原因で湖の水位が上昇しており、予定していたA地点の発掘は不可能となった。代わりに、B地点の基準点の選定及び測量を行った。哲也さん自前の測量グッズを用いて、炎天下の中、廣瀬さんと3人で汗を流す。日常生活で扱うことはまずないであろう機器の扱いは暑さを忘れさせるほど私を高揚させた。個人的には三脚を立ててレンズを覗いてレベルを測る機械(オートレベルで画像検索)を扱えたことが印象深かった。作業をしていると湖畔に住む小椋さんと話すことができた。なんとこの小椋さんは大山祇神社の二つの鳥居建て替えに関わったすごいお方。桧原歴史館の前の道路は昔は砂利道だったこと、その湖畔沿いには杉や檜、桜の木などが立っていたが、湖に沈む前に全て切ってしまったこと、噴火後小さかった湖はダムができてから急激に水位が上昇したことなど有力な情報を得ることができた。中でも、B地点に生えている立派な柳の木について、お話を伺う前は3人で幹の太さや根の絡み具合から樹齢100年から200年くらいはいってそうという見解であったが、なんとこの柳の木、小椋さんが中学生の頃くらいから生え始めたと、、、つまり、樹齢は60年ほど!!笑笑。辺りに響く”えっーーーーーー“。私たち3人は驚きを隠せない。柳は成長が早いのだと。凄まじい生命力を感じた。さらに、この木はポッキリヤナギ。グーグルカメラで葉っぱの写真を撮って調べて出てきたのだが、最近のスマホはすごいとさらに驚く。続いて、A地点へと向かい、堆積物の調査を行なった。A地点は会津川の河口付近にあり、草が生い茂る。湖の砂地に60センチあるピンを刺してみると、スッと入っていき、埋まってしまった。他の場所でも同様。それだけ河川から運ばれてきた砂礫が堆積していることを確認。A地点の掘削作業はかなり深く削らなければならないとの結論に至った。